私にとっての1995年1月17日

1995年1月17日。
あの阪神・淡路大震災の起こった日付です。

  • 5時46分

香川県坂出市のZP家にて就寝中だった自分。
わずかではあったが明らかに感じられる縦揺れに目を覚ます。
その後大きな横揺れを感じ、ただ揺られていた。
本当に何もできなかった。布団の中にもぐり身を守ることも考えられなかった。

  • 5時55分

揺れが終わったあとつけたラジオにて
震源兵庫県南部、
香川県は震度4であったことを知る。

  • 6時00分

両親の寝室へ行き、NHKを見る。
7時過ぎまで見ていたが
兵庫県南部が震度6であり、
淡路島では建物の下敷きになっている人がいるということを知る。

  • 7時50分

中学校に登校。
クラスでは女子生徒が「怖かったよぉ〜」とみんなで言い合っていた。

  • 14時00分

5時限目が始まり、英語の先生が
「朝の地震怖かったですよね。
あの地震で神戸のほうでは200人くらいの方が亡くなったそうです」と言う。
えっ・・・うそやろ。教室内が静まり返る。

  • 16時40分

帰宅し、すぐにテレビをつける。
ヘリコプターが神戸の町を映していて
あちこちから出ている煙を見て声を失う。
字幕スーパーには「死者450人超」とでている。
さらに阪神高速道路が横倒しになっている映像を見て
頭の中が完全にパニックになり叫んでしまう。

  • 20時30分

兵庫県南部地震」による被害状況があらわになり
死者も絶えず増え続ける状況に恐怖を覚えつつ
帰宅後ずっとテレビを見ている自分に
当時教育ママと化していた母が
受験生だから勉強をするように叱るが
「こんな状況でできるわけがない!」と言い返す。
その後30分ほど口論になる。
結局私が折れて、部屋に戻る。
しかしその夜は勉強はまったくできなかった。

  • 28時00分

部屋の中でずっとラジオを聴いていたが
聴きながら眠りにつく。


こんな一日だったのを思い出しました。
揺れたこと以外はまったく被害にはあっておりません。
しかしあの大惨事と同じ地震の揺れを感じたこと、
あの感覚はおそらく死ぬまで忘れないと思います。


学生でなければ、受験生でなければ
すぐにでも被災地に行きたかった。
何度か行った神戸、
お年玉を使って家族に黙って一人旅に行った神戸の街。
あんなふうになってしまって・・・悲しかった。
そんな心情も思い出しました。


この地震により亡くなられた方は
昨年末現在のデータで6434人いらっしゃいます。
ここに改めて、ご冥福をお祈りいたします。


そして私も終生
この地震のことを忘れないようにいたいと思います。


最後に
神戸新聞の震災特集ページを紹介いたします。
http://www.kobe-np.co.jp/news_now/06shinsai.shtml