「ジェネジャン命SP」を見て

夜に放送されていたテレビ番組を見ていました。
テーマは「命」。


特に殺人と自殺について論議されていましたね。
ともに一度は真剣に考えたことはありますからね。


とにかく「命」というものを
あまりに軽く考えていないか・・・ということは私も含めて思うんです。


「殺人は自己責任の範囲でOK」?
殺したい相手にはそりゃ恨みもあるだろうし、もしかしたら罪もあるかもしれない。
でも人ひとりの命をなくすことって当事者間だけの話じゃないよ。
苦しみは相手だけに与えるんじゃないんだよ。


かといっても
「こいつがいれば自分は必ず死んでしまう」とか
たとえば監禁状態にあっているとかそうなってしまえば
そうもいえないのかもしれないけど・・・。
でも一人の命を消すまえにできること、試みれることを
やった上で・・・というのは奇麗事なんでしょうか。


自殺については・・・
1年位前までは「愚かな人間のすること」って思ってましたね。
真剣に考えていたって言ったって
この番組で安田美沙子さんが言っていた
「悩みが自分の考えられる範囲を超えてしまった。
自殺を考えたとき、実行後の両親の姿を思い浮かべるとできなかった」といったように
真剣な悩みではありましたが
まだまだ周りのことを考えられる「余裕」というものがありました。


自分が自殺を免れたのだから
自殺をする人間は自分よりも弱い人間・・・そう思ってましたね。
そんな人間を私は認めなかったのかもしれません。


本当に実行してしまうのは
それ以上に追い詰められた人だったり、
死ぬことに何らかの快楽を見出した人だったり、
何がしかの病的な衝動に駆られた人だったり。


そうなってしまうと
「周りの人が悲しむ」
「生きたくても生きられない人がいる」という正論では
まったく止める手段にならないんですよね。


あと、「自分は誰からも愛されていない」
「自分は世界で一番価値のない人間」と
自分自身のことを過小評価してしまう。
自分もそう思っている節がありますからね。
出演していた自殺志願のフリーターの子は
「自分のすべてが嫌。顔も、声も、性格も!」っていってましたね。


放送内でまちゃまちゃさんが
「私の友達が一人自殺した。
その友達は『私は一人ぼっち。友人はいない』とことあるごとに言っていたけど
そいつの葬式にはたくさんの人がきていてみんな泣いていた。
中には彼女を本気で愛している人もいた。
その光景を見せてあげたかった」と言っていたのには
番組内で一番心に残ったところです。


友達の数で自慢できるのは子どものころまで。
もしくは仕事上くらいでしょう。
大人のプライベートでは何人いるかよりも
本心を打ち明けられる友達がいるか否か。
そんな人が一人でもいればいいんですから。


私の携帯電話には100件以上の登録がありますが
仕事以外でよくかけたりかかってくるのは十数件くらいですからね。
それでもさびしいとは思わないしね。


はなしがつながらん・・・。


自殺志願する人って
周りから愛されていても
それに気づかないのか、拒絶しているのか
愛情を感じないような気がします。


でもその愛情を感じられるようにすることが
自殺を止めるひとつの止め方かな・・・って思うんです。
いや、究極の止め方かもしれないな。


昨年の秋に、江原啓之さんの「いのちが危ない!」という本を読みました。
それによると
「自殺をしたって、肉体は死んでも魂は生きている。
だから自殺によって苦しみからは開放されない。
自殺したことを後悔する霊魂、自殺を何度も試みる霊魂は多い。」んだそうです。

いのちが危ない! スピリチュアル・カウンセラーからの提言

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重いテーマでしたが、書きなぐってみました。
後ほど追加や訂正もあるかもしれませんが
これは私の本音です。